蛍の手帖

会社員として働く自分を想像できなかった

私が今の生き方にたどり着くまでの過程を残したくなったので書く。

大学生の頃、周囲が就活に向けて本格的に動き始めた時期。私はほとんど何もしていなかった。

完全に何もしていなかったわけではない。説明会に行ったり、たまに面接を受けたりすることもあった。ただそれは、親に「就活はしている」と釈明するための行動で、決して自分のための就活ではなかった。

なぜ真面目に就活をしていなかったのか。
一言で言えば私は怖かったのだと思う。

第三者と明確に比較されること。そこで失敗すること。自分の劣等感が、結果という形になって目の前に現れること。

私は父親から「上位大学以外はありえない」「一部上場企業に就職するのが当然」というようなことを繰り返し聞かされて育った。

だから私にとっての就活は、仕事を探す場というよりも、自分の価値を判定される場だった。でもその答えがどうかなんて、もうここまでの人生で既に分かりきっている。

周りが少しずつ結果を出していく中で、私だけは取り残されていた。小さなコミュニティだったけれど、周りは優しかった。今になって思えば、就活の話題を意図的に私に振らないようにしてくれていたのだと思う。気を使わせて申し訳なかった。

私の中にも焦りや羨望や恥ずかしさはもちろんあった。ただ、それ以上に私を強く支配していたのは、どこか「他人事」のような感覚だ。

自分の就活のことなのに、自分の人生がこれからどうなるかという話なのに、それを自分のこととしてうまく受け取れない。自分のために頑張るということが、あの頃の私にはなんせ難しかった。

当時、私はすでに双極性障害を抱えていた。

一部の友人を除いて基本的には病気のことを隠していた。親には伝えたけれど、病気として認めてもらえなかった。

そもそも一年を通して体調が安定しているわけでもなく、就活それ自体を続けることも簡単ではなかった。(4年で卒業できたのも正直奇跡みたいなものだった。)

ただ、病気であることは別に、私にはこの頃からすでに「自分は会社員として長く働き続けられる人間ではない」という、ある種の確信があった。

私は、人の強い口調や叱責、否定のようなものがかなり苦手だ。それは自分に向けられたものでなくても変わらない。近くで誰かが強く怒られているだけでも精神が削られる。これは私が幼い頃からずっと、父親にそうした感情を向けられてきたから。

だから、会社に行って、人間関係の中にいて、叱責を受けながら、それでも翌日にはまた同じ場所へ行く。そういう生活を何年も続けられている自分の姿がどうしても想像できなかった。

それでも時間は進む。

周囲は次々と大手に内定を決めていく。私は未内定のまま。無限に感じられていた学生の時間も着々と終わりに近づいていく。

働ける気はしない。でも、卒業したら働かなければならない。当時の私には、もうそれ以上のことを考える余裕がなかった。

こうして私は卒業間際になって仕方なく受けた企業で営業職の内定を得た。

このあと私は、28歳になるまでの間に、正社員を3社、バイト、派遣社員、無職を経験することになるのだが、その話はまた別で書こうと思う。

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蛍(@wasuremizu_)