もう全部どうでもよかった ④
前回
双極性障害が寛解といえるところまで体調を戻した私は、転職活動を始めた。
活動にあたって私は転職エージェントを使った。
面談をしたのは東京駅に隣接するビルだった。私を担当してくれたのは、とても姿勢がよい、美人で快活な女性だった。そのはつらつとした表情を見て「なんだか眩しい人だな」と思ったことを今でも覚えている。
当時の私は情報システム部、いわゆる「情シス」の仕事を狙っていた。
この転職活動について言えば、はっきり言って私は二つの幸運に恵まれたのだと思う。
一つ目の幸運は、派遣社員と無職を往復していた私の穴だらけの職歴が、思っていたほど転職活動で大きなマイナスにならなかったことだ。
これは派遣社員として情シスの仕事も経験していたことが幸いした。面接で空白期間をどう言い訳したのかは、もう忘れてしまった。
そしてもう一つの幸運は、前の会社にいた頃に取ったいくつかのIT資格が、思っていた以上に評価されたことだった。特にITを本業としていない他業種の会社ほど、少し難しめの資格を分かりやすく評価してくれたように思う。
エージェントの女性から「とりあえず応募はタダですから」と言われ、私は言われるがままにかなりの数の会社へ応募した。
結果として、私は俗にいう大企業への転職に成功した。
就活をサボっていた私からしたら、逆転満塁ホームランと言っても差し支えのないレベルの会社だ。
ちなみに、ここまで体調や双極性障害のことは一度も話題に出していない。本当に卑怯な人間で申し訳ないと思う。
そんなこんなで、私はまた会社員として働きはじめた。
正直、この会社で何の仕事をしていたのかについてはあまり書くことがないし、多分読んでいても面白くないので特に書かない。
ただ、私がこの時代に強く印象に残ったことを一つ挙げるのなら、大企業には、それまで働いてきた企業にはなかった妙な寛容さがあったように思う。
これは別に、みんなが特別優しかったという意味ではない。そうではなくて、たぶん、人が多すぎて一人ひとりにそこまで構っていられないのだ。
少しくらい無能な人間がいても、少しくらい変な人間がいても、巨大な組織は当たり前に回っていく。
いつかどこかで「無能こそ大企業を目指せ」のような論説を見かけたことがあった。当時は「なにを言っているんだ」と思っていたが、今の私なら納得できる。
私は結局、その会社に3年ほどいた。
そして、また辞めた。
理由はまた双極性障害が悪化したからだ。ただ、今回はそれまでとは事情が少し違った。
周期的な体調の崩れで働けなくなったわけではない。私の中でかなりはっきりしたきっかけがあった。
当時、私は実家とはほとんど絶縁に近い状態だった。それでも一度、どうしても実家へ帰らなければならない用事があった。
実家に帰省した際、私は父親から人生について例のごとくあれこれと説かれた。
「努力が足りない」
「次に転職するときはどうするんだ」
正確な言葉はもう覚えていないが、そんなことを言われた。
父親は昔から私の人生の境界線をやすやすと越えてくる人だった。進学も就職も、本来は私自身の人生の話なのに、父親の価値観がそのまま正解として入り込んでくる。
そして厄介なことに、当時の私はまだ、その価値観の呪縛から完全には抜け出せていなかった。
だから、父親の言葉を聞き流すことができない。言われるたびに、それがそのまま自分の人生の成功判定として入ってきてしまう。
このことをきっかけに、私のメンタルは限界まで崩れた。
もう何もしたくなかった。仕事も、将来も、これからどう生きるのかも、全部どうでもよくなった。
突然会社を辞めると伝えた私を、上司は最後まで引き止めてくれた。
「少し休んでから考えればいい」
「会社を辞めることはない」
そんなことを言ってくれたと思う。
今になって思えば、私のことを気遣ってくれる、本当にありがたい上司だった。
会社が嫌だったわけでもない。上司が嫌だったわけでもない。それまで経験した労働環境の中では、一番働きやすい環境だった。
それでも私はそこにいられなくなった。
無職生活の始まりである。
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