蛍の手帖

短期離職|今の生き方にたどり着くまで②

前回の続き

⇒ 会社員として働く自分を想像できなかった

大学卒業後、私は営業の仕事についた。

ただ、この「営業」という仕事を私が評するのは、少しおこがましいかもしれない。

なぜなら、私は営業職のいろはの「い」を理解する前に辞めたからだ。

新卒入社後、最初の2週間は新人研修だった。よくあるビジネスマナーや電話応対みたいなことを習ったと思う。

研修が終わると直属の上司がついた。

結論から言うと、その上司は私がもっとも苦手とするタイプの人間だった。異常に声が大きく、高圧的で、いかにも上下関係の厳しい組織の中で揉まれてきた人間、というのが私の第一印象だった。

詳しくは忘れたが、小学校から大学まで、何らかのスポーツを続けてきたらしいことは覚えている。

正直、この頃のことは語れるほど覚えていない。

覚えているのは、家にいるときも会社にいるときも、毎日「死にたい」と思っていたこと。そんな状態で仕事なんてできるわけがない。

入社から2ヶ月ほどで、早々に適応障害と診断されて休職した。そして、7月のある日に会社を辞めた。

もっとも、私が退職したことと上司の人間性は別だ。

同じように体育会系で揉まれてきた人なら、彼の厳しさの中にある優しさを受け取れたのかもしれない。私との相性が最悪だっただけで、別の人にとっては面倒見のいい上司だったのだろう。

ただ、私にはあの環境は合わなかった。だから辞めた。それだけだ。

当然、退職の事実を親に伝えることはできなかった。

3ヶ月で会社を辞めたと伝えれば、暴言も暴力も飛ぶ。それが分かりきっていたから、辞めたあとも働いているふりを続けた。

毎朝起きて家を出る。ブラブラするのだってタダじゃない。生活するにはお金が必要だ。

しばらくして、人と話さなくて済む、少しだけニッチなバイトを始めた。その分時給は安かったけれど。その生活を半年ほど続けた。

とはいえ、大学を卒業すれば、年金の支払いもあるし、奨学金も返さないといけない。いつまでもバイト生活をごまかすのは難しいだろうし、それに私自身にも危機感があった。

ここにきてようやく、自分の人生に対する当事者意識が出てきたのだ。遅すぎる。

そんな折、ネットで「エンジニアになろう」という趣旨の広告を見かけた。

営業職が自分に向いていなかったことは明らかだった。

「営業がだめならエンジニアは?」

私はその勢いのまま履歴書を送った。面接はすぐに決まり、2週間後には内定を得ていた。

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蛍(@wasuremizu_)